サルトル著「自由への道」第一部を読む

かつて有名であったが今時絶対読まれないだろうという小説をぼくは好んで読むことにしている。野間宏著「青年の環」がそうだったし、ロマンロランの「ジャンクリストフ」がそうだったし、今回のサルトル著「自由への道」もそうだろう。とにかく今時の人はこんなに長い小説は最初から読む気力を失うはずだ。ぼくは時代にあえて逆らって現実から遠く離れたところから、いわば身を隠しながら生きるのが好きなのだ。幾分1Q84の天吾に似ているかもしれない。


さて今日サルトルの「自由への道」全4部のうちの1部を読み終わる。これはサルトルを甘く見ていたなと反省させるだけの反道徳的な悪をも引き入れている青春を描いていた。最後に青春が終わって「分別ざかり」が訪れることになるが、追体験しようとするとくたくたに疲れる。しかし読み終わると、「ぼくの」青春が体に戻ってくるような爽快感に浸ることができた。サルトルの文体は肉惑的で繊細で力強かった。ただし平気でウソがつける主人公と自分では追体験にも限界がある。勇気を試すために自分の掌にナイフを刺すこともできない。登場人物のパリに生活する人々の中に入って、あの時代の空気を吸う楽しさは十分味わえた。

1968読書会

ボブ・ディランやPPMが反戦歌を歌いストーンズだって「黒くぬれ」でベトナム反戦のメッセージを送ったが、中学生だったぼくは歌詞を理解できなかった。政治は街頭デモが鮮烈だったけれど、文化革命というより大きな文脈で語られ、政治に無関心な人もその時代の雰囲気に呑まれていた。大学をドロップアウトして日雇い労働者になったり、ヒッピーになって一生幻想を彷徨い続ける詩人たちもいたんだ、今では信じられないけれどね。

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